プロフィール

 五十嵐 勝治さんは、木槌と金槌を使い分け「絞り」「打ち出し」と呼ばれる熟練の技で、寺院などの屋根に取り付けられる銅製の鬼板をつくり上げてきた、この道の第一人者である。
 三代にわたる奥義を、さらに高いレベルまで磨きをかけたことから「現代の名工」として県知事賞と黄綬褒章に輝いている。
 技術の習得は戦後の19歳から始めた。父親の政利さんに師事し、天性の器用さと優れた感性で次々と技を極めていった。当時はあんを煮るなべや茶こぼしなど日用品が多く、3000度の高熱で焼いた銅の板を身につけた技術で丹念に容器の形に仕上げていった。
 現役を退いてから7年。家業としては勝治さんの代で途切れてしまったが、技の一端は確実に次の世代に受け継がれている。

産業分類 生活密着型技術
認定年度(平成) 平成10年
マイスターの分野 鬼板・紋章製造(工場板金)
氏名 五十嵐 勝治
ふりがな いがらし かつじ
性別
生年月日 昭和3年1月2日
住所 上越市寺町2丁目

五十嵐さんの軌跡

50代の時の五十嵐さんと鬼板

 終戦当時は銅板が手に入らないこともあり日用品が主だったが、昭和40年ごろから風呂釜のほか、屋根を銅で葺くようになり、両端に乗せる鬼板も銅製が望まれ、寺院などからの注文が多くなった。
大きな鬼板の運搬の様子

 73歳で仕事を退くまでに約50組の鬼板を制作・完成させた。その中には約80キロにもなる巨大なものもあったという。
八坂神社の鬼板

 自宅のある寺町地内の寺社・仏閣の屋根には五十嵐さんが製作した鬼板が多く使われており、浄興寺の宝物殿や八坂神社の鬼板もその一つ。
五十嵐さんが手掛けた家紋

 鬼板の他にも、銅を材料にした紋章も手がけてきた五十嵐さん。紋章は贈答品として重宝がられた。
 自宅には、欄干に取り付けられる擬宝珠(ぎぼうしゅ)や茶こぼし、掲額などが残っている。
作業中の五十嵐さん

 冷めても柔らかいままの胴の性質を利用し、金槌を当て「絞り」「打ち出し」を行う五十嵐さん。一つ一つの仕事に職人魂を込めた。
職業訓練校での様子

 「自分が努力して身につけた技を何で他人に教えるんだ」と父親に言われたが、後進の指導にも熱心に取り組み、指導を請う職人には惜しみなく技を伝え、職業訓練校でも職人を目指す若者たちに手を差し伸べた。
財団法人 自治総合センター