HOME > 横尾 徳治
プロフィール
終戦後満州から引き上げてきて、昭和二十五年、みながわ製菓所(現みながわ製菓)に入所した。二十七歳の時だった。
「匠の技」極めるには、遅すぎる出発といえる。当時の社長、皆川進氏とは、当時としてはまだ珍しかった「おかき」の焼きの技術を切磋琢磨した仲。そうして作られたのが、みながわ製菓の代表的な米菓「幻元禄」である。
一日に焼ける数は二百枚がやっと。それでも「お客さんからおいしいといわれるのがうれしくて、四十八年間もやってられたんでしょうね」とにっこり。
産業分類 | 生活密着型技術 |
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認定年度(平成) | 平成9年 |
マイスターの分野 | 製菓工 |
氏名 | 横尾 徳治 |
ふりがな | よこお とくじ |
性別 | 男 |
生年月日 | 大正11年10月4日 |
住所 | 上越市中通町 |
横尾さんの仕事
空調の整っていない昔、夏は灼熱地獄と化す。室内温度は四十度を優に超え、そのなかでの作業となる。
焼く際の目安は焼き色と中にしんが残っていないかどうか。表面だけ色がついても中に火が通っていなかったり、生地の厚さなどが微妙に変化してくる。そうなるともう理屈でなく、長年の経験による自信と技術が頼りだ。時にはじっくり、時には素早く、かまから生地を出し入れする。
(平成10年1月29日紙面記事 上越タイムス提供)