プロフィール

 木澤さんは平成3年、新潟県日本料理コンクールで日本調理師会会長賞、翌年に全国料理コンクール郷土料理部門入賞などの実績を持ち、名料理人・田村平治氏も実力を認めた。特に懐石料理は県内トップクラスの料理人。郷土の武将・上杉謙信にちなんだ現代版の「かちどき飯」を形にした立役者の一人で地元観光、食文化の振興に貢献してきた。
 高校卒業後の進路は製菓会社に就職が決まっていたが「どうしても料理の道をめざしたい」と父親の反対を押し切り、高校に寄せられた求人に応募。女将が高田出身、高校の先輩も勤めていた箱根の旅館に就職した。「両親は共稼ぎ、5人兄弟の4番目で上3人は男、下が妹だったので食事の用意をすることが多く、いつの間にか料理に惹かれていました」と懐かしそうに話す。

産業分類 生活密着型技術
認定年度(平成) 平成12年
マイスターの分野 日本料理
氏名 木澤 昭夫
ふりがな きざわ あきお
性別
生年月日 昭和24年9月10日
住所 上越市大貫

木澤さんの修行

 就職先の旅館では、商業高校を出たので事務かフロントの仕事に就くように言われたが3カ月粘った末、板場に入れてもらった。最初は洗い方や従業員の賄いを担当。板長の食事も作るうちに筋の良さを認められた。師弟関係がはっきりした厳しい世界だったが、板長からじきじき玉子焼きの指導を受けるなど、喜びもあり、焼き方(焼き物)、向板(刺し身)と、難しい持ち場に変わるごとに実力を発揮した。苦い思い出もある。隠れてタバコを吸ったときに「一流の料理人を目指すなら、舌のために良くないタバコと深酒はやめなさい」と戒められた。今でも心の支えにしている板長の言葉だ。
 その後、東京・新宿の高級料亭、万博で沸いた大阪・吹田の料亭などを経て二十七歳でUターンし、上越の老舗料亭に勤めた。力量だけでなく、料理に注ぐひたむきな情熱や真摯な姿勢が認められ、料理人の世界では異例ともいえる33歳の若さで総料理長に抜擢され、大所帯の板場を仕切った。上越調理師会の講習会に東京の有名店「つきぢ田村」の料理人を招いた縁で、この店の主人で日本料理の神様と呼ばれる田村平治氏の下で1ヶ月間研修。名人の言葉「お客は神様。ひとりよがりにならないよう常にお客の言葉に耳を傾ける」を心に刻んだ。

財団法人 自治総合センター